アルカトラズ刑務所の規律は、非常に厳しかったものの、必ず一人につき一つの官房が与えられ、食事の質も高いなど、収容環境は他の連邦刑務所と比べて、さほど悪くはなかったそうです。
受刑者には必要最低限のものが与えらました。
それぞれの場所には、タイムズ・スクエアとかブロードウェイなどの名前が付けられていました。
Dブロックというのは、騒ぎを起こしたものが入れられる独房のことで、他の監房よりいっそう寒く、夜は真っ暗らな中、外の風の音が聞こえるため、受刑者たちから気味悪がられていました。
こちらがDブロックの中。
独房は、監房と違って、ベッドも何もありません。
さすがにここには最高でも数週間しか収容されることはなく、受刑者たちは一般監房に戻されました。
こちらは図書館があったところ。
現在は何も残っていませんが、当時は最大で約1万5千冊の書籍と雑誌が保管されていたそうです。受刑者は各監房に置かれた蔵書目録から各人が保有する図書カードに閲覧を希望する書籍の名前を書いて投函し、その後、図書係が各監房に配布しました。
新聞や時事問題を扱った雑誌を読むことは許可されなかったそうです。
面会は、月に一回、親族もしくは所長の許可を得たものに限られ、面会時間は2時間程度でした。
外に出れば、すぐ目の前にサンフランシスコの町が見えます。
近くに見えても、とても遠い塀の外の暮らしに受刑者たちは憧れました。
当時の看守の服装。
そして持ち物です。
ここは食堂です。食堂の天井には、スプリンクラーが設置されていて、何か騒動が起きた時には、ここから水が噴射されるようになっていました。
食堂は、ナイフなどが置いてあるため、最も厳重に管理されていました。
ナイフの箱には、ナイフの形が描かれていて、ナイフが紛失した場合には、すぐに見つけられるようになっていました。
連邦刑務所時代には14回の脱獄事件が起こりましたが、中でも1962年に起きた脱獄事件は世間を震撼させました。というのも、手製のドリルで通気口が広げられており、夜の見回り時に気づかれないよう、ベッドには作り物の人間の頭が置かれていました。そして、フランク・モリスとアングリン兄弟が監房から消えました。島外にたどり着いたかどうかは不明です。
刑務所以外の庭やその他の敷地も時間があれば周ることができます。
そして帰りのフェリーの時間をチェックして、帰りました。
観光所要時間は、ゆっくりまわっても2時間半程度です。