海外食べ歩きブログ(レシピ付)

海外で出会った美味しいもののレシピやその他の出来事をつづったブログです

ルクソール神殿 その1

カルナック神殿の後は、ルクソール神殿にやってきました。
ここは、もともとカルナック神殿群の一部として、アメン神、ムト神、コンス神に捧げるために、アメンホテプ3世が築いた神殿で、新年の祝祭の儀式を行うために使われたそうです。

神殿の入り口の塔門とオベリスクは圧巻です。元々6体あった王像のうち3体が残っていましたが、現在では修復が進んで4体が見えます。入り口付近の2体がラムセス2世の座像で、右側の座像の方が損傷が激しく、顔の部分はほとんど分かりません。

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さらに、ここにあるバラ色花崗岩のラムセス2世のオベリスクは、もともとは対をなしていたそうですが、ナポレオン時代にフランスに贈られて、今はコンコルド広場にあります。
たしかに、よく見ると、オベリスクが一本だけというのはバランスが悪いように見えます。フランスもこういう歴史的建造物は、きちんとエジプトに返すべきだと思いました。
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入り口から中を覗くと、中の建築物が少し見えます。これだけでも興奮しますね。
昔は、この中央部分には扉があったそうです。
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座像の横を歩いてみると、やっぱりその大きさを実感します。
外壁には、ヒッタイトを空いてにエジプトの存亡をかけて戦ったカデッシュの戦闘場面がレリーフになっているそうです。
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塔門からラムセス2世の中庭に入ります。
下が膨らんだ形の列柱が見えます。
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あれ?なんでいきなりモスクのシンボルが?と思いますが、実は、このルクソール神殿は、1884年にガストン・マスペロによって発掘されるまでは、砂に埋まっていたんだそうです。そして、その当時にはすでにイスラム教徒たちにより、アブ・エル・ハッジャ・モスクが建てられており、それが今でもルクソール神殿の北側に残っています。
モスクを取り壊すわけにもいかず、このままの形で残されているそうです。
ちなみに、この四角い部分が入り口だったそうで、その下を掘り進んだら、昔の遺跡が出てきたわけです。
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こちらは北側にあるモスク。現在でも使われているそうです。

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ラムセス2世の中庭からは、いろいろな小部屋に行くことができ、その小部屋に行くための入り口がたくさん残されています。
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こちらも小部屋へやの入り口の一つです。門全体にレリーフヒエログリフが刻まれています。
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こちらはラムセス2世の中庭の見取り図。
上から見ると、このように列柱が配置されています。
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このラムセス2世の中庭はもともと74本の開花パピルス柱で囲まれていたそうです。
そして、この柱の間に、もともと建てられていたアメンホテプ3世の像の名前を自分のもの書き換えることによって、自分も偉大なファラオだということを示したそうです。
なんだかちょっとセコイ。。。

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列柱の間の像は、頭部がなくなっているものが多いです。
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こちらの像はラムセス2世の座像。両肩には王の称号が彫られているそうです。
ちなみに、ラムセスという名は、「ラーより生まれた」という意味で、左肩に記されているそうで、右肩には、即位名である『セテンペンラー・ウセル・マアト・ラー』が刻まれているそうです。
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 つづく