ラムセス2世の中庭の周りの壁には、たくさんのレリーフ画が残されています。
こちらはエジプト軍が遠征したときに捕虜になって連れてこられた人を表しているレリーフです。この捕虜になっている人たちは、外見からヒッタイト人に近い感じがします。
こちらは忘れてしまいましたが、おそらくラムセス2世の遠征の様子を表したもの。
こちらは別の捕虜の様子。おそらくアフリカから連れてこられた捕虜でしょう。
こちらの座像は、ツタンカーメンのものらしいです。
ツタンカーメンの父イクナートンがアテン信仰を進めて、アメン神を祀るこのルクソール神殿やカルナック神殿の像を破壊してしまいましたが、父の死後、ツタンカーメンがアテン信仰を廃止し、これまでのアメン神の信仰を復活させ、父が破壊した像の修復作業に努めたため、その功績が評価されたそうです。
こちらは先端部分が開いたパピルス列柱です。中庭にはこれが74本あります。
崩れてしまった列柱の下の部分だけ見ても、その凄さが分かります。
列柱の並んでいる様子は圧巻。
さて、この中庭からはいくつかの至聖所に行くことができます。
こちらは至聖所の一つです。名前は忘れてしまいました。。。
中は修復作業中でした。壁にぎっしりと残されたレリーフ画に自然な形で色付けを行う作業がされていました。
至聖所らしく、神に捧げものをするファラオの姿が様々な形で描かれています。
この中の至聖所の一つに、アレキサンダー大王の至聖所があります。
ギリシャからアレキサンダー大王がペルシャを破ってエジプトに凱旋入場し、それまでペルシャの支配に苦しめられていたエジプト人たちは彼を救済者として崇めました。
そして、アレキサンダー大王自身もアメン神を信仰することで、エジプト人たちを懐柔したとされています。そのため、このルクソール神殿にはアレキサンダー大王の至聖所もあり、アメン神を礼拝するアレキサンダー大王のレリーフ画が残されています。
ただ、それがどのレリーフ画だったか忘れてしまいました。。。(涙
周囲にはたくさんのレリーフ画。説明がないと意味が分からないものもあるけれど、見ていて飽きません。
柱の間にあるラムセス2世の像。
ところどころ、柱にある神の顔が削り取られていたりしますが、これはイクナートン時代に行われたものなのでしょうか。。
ルクソール神殿の重要な役割の一つはオペトの大祭を祝うことでした。オペトはテーベ(昔のルクソール)の守護女神で、毎年、洪水の季節の第2の月に祝われ、祝儀は27日間も続いたそうです。
重要なのは、この祭りがカルナック神殿とルクソール神殿の合同で行われたことで、今も2つの神殿を結ぶ2.5kmの参道が姿を残しています。両側にはスフィンクスが並んでいます。(ただしこの参道は、現在はルクソール神殿までは繋がっておらず、近いうちにルクソール神殿まで繋げる計画だそうです。)
この参道を、御神体を納めたアメン神の聖なる船がカルナックを出帆して、ルクソール神殿に向かう際に、民衆はその沿道にでて拝礼を許されたそうです。
ほんと、古代エジプトロマンですね~。
さて、これでルクソールの遺跡巡りも終了です。