サッカラ観光マスタバ群を見る その2
こちらはウナス王のピラミッドで、2475年BC、階段ピラミッドの南西120mの場所に建てられたそうです。この内部には、ヒエログリフ文字で書かれた、死後の王の魂を導くための碑文が発見されており、これにより古代エジプト人の死後の世界観が明らかになった貴重な歴史建造物の一つだそうです。
内部に入ることはできませんでした。
この辺りからは、さらに遠くのダハーシュという場所にある屈折ピラミッド(真ん中にあるちょっと屈折した二辺が屈折したピラミッド)も眺めることができます。
周辺にはたくさんのマスタバ墳があります。
ジョセル王の階段ピラミッドのエリアから、この門を抜けると長い参道に出ます。
こちらが参道。
テティ王のピラミッド、メレハカのマスタバや、カゲムニのマスタバ群に繋がっています。
参道の壁にも、何気なくレリーフが彫られています。
こんなところによく見ると、たくさんのレリーフが残っていて、ビックリです。
途中、至る所にマスタバがあります。こちらもヒエログリフが刻まれており、王族に関係する人たちのマスタバだと言われているそうです。
こうしてみると、これだけ広大な土地に死者だけが眠る町、本当にネクロポリスという表現がぴったりします。それだけ古代エジプト人は死後の世界を信じて、死後にもその肉体に魂が戻ってくると本気で考えていたんだなーと改めて思いました。
こちらがテティ王のピラミッドです。ウナス王のピラミッドもテティ王のピラミッドも、こんもりと山状になっているだけで、それほどピラミッド感はありません。
たくさんの神殿などの壁の跡の向こうには、階段ピラミッドが見えます。
やはり建造物としては、ジョセフ王の階段ピラミッドの方がすぐれています。これも、天才技術者イムホテップの功績ということでしょうか。
ところどころに残るレリーフも、何千年前に彫られたものとは思えないほど。
地下のマスタバに通じる階段など、この辺りはとても広く、ゆっくり散歩することもできます。
この日は天気は良かったのですが、風が強く、砂嵐とまではいかないまでも、目や口に砂が入ってくるので、完全防備です(笑
マスク持ってきていて良かった・・・。ちょっと変な人っぽいですが、この格好だと、ラクダ引きのおじさんに絡まれにくい(笑
さて、マスタバ群の下のところまで降りてきました。
この辺りには、王に仕えた宰相や長官などの人たちのマスタバがあり、一部は中に入ることができます。
ちょっと忘れてしまいましたが、おそらくこちらがメレルカのマスタバです。
ここは中に入ることができましたが、内部の写真撮影はできません。メレルカは王宮の侍従長を務めた人物で、中には彼や妻、息子のレリーフ、漁をする様子や、妻がハープを奏でるレリーフなどが彫られています。
さらにもう一つ、カゲムニというやはり王に仕えた人物のマスタバ墳にも入りました。
こちらはガイドブックを写真に撮ってみたものですが、実際、中はこんな感じで、色もうっすらとついていたりします。マスタバ墳は、発掘されるまで、ずっと閉ざされた状態だったため、保存状態が良いのだそうです。お供えもののアヒルを担ぐ人々。牛やヤギをひいています。同じ絵の中におさめるため、牛やヤギの大きさはかなり縮小されて描かれています。
こちらもガイドブックの写真です。
パピルスの筏に乗る漁師たちが、魚を採っている様子を描いたものです。
サッカラ、あまり観光地としては有名ではないけれど、古代文明の遺跡の宝庫でした。
サッカラの階段ピラミッド観光
今日はエジプト二日目、サッカラのネクロポリス(死者の町)とメンフィスを巡る観光に出発です。
サッカラはカイロから南に25kmほど離れた地で、特に古代エジプトの墳墓の中でも最古といわれる階段ピラミッド、テティ王のピラミッドのなどがあり、古代エジプトの歴史の中でも重要な場所です。
カイロから離れると、空気も澄んできて、田舎の風景になってきます。
見えている川はもちろんナイル川です。
そうそう、エジプトのピラミッドや王家の墓、死者の眠る墳墓は、すべてナイル川の西側にあります。これは古代のエジプト人が死者の魂は太陽の沈む西から蘇ると考えたため、ナイル川の東側は生きている人間の町(カイロやルクソールなど)で、ナイル川を渡って西側には死者の町(ギザ、サッカラ、王家の谷など)があるそうです。知らなかった。。。
長閑な風景です。ナイルの水を灌漑して農業をしているので、ナイル川の周辺は緑豊かな緑地帯が広がります。
道路もすいています。カイロの交通渋滞とは大違い!
プランテーションのヤシの木がたくさん。バナナもプランテーションで栽培しているそうです。
サッカラの町に着きました。
町といっても、死者の町なので、お墓以外には何もない砂漠地帯です。
そしてこれが第三王朝のジョセル王(2668~2649年B.C)の墓として建てられた階段ピラミッドです。これまでに発見された中で最古のピラミッドであり、世界で最初の石造建築物だそうです。
ジョセル王は19年間王位に就き、その間、このピラミッドの建設が行われたと考えられています。この階段ピラミッドは、規模こそ、大ピラミッドに及ばないものの、すでに古代エジプト文明の基礎となるピラミッドの存在を最初に表したものとして、歴史的に重要な地位をしめています。
高さは62mあり、8m~11mの階段が六段積み重なっています。
基底部の長さは東西に125m、南北に109m、全体は石灰岩でできています。
この建物は、たしか階段ピラミッドの西側にある複合神殿の入り口だったと思います。。
高い天井をくぐり抜けて、入場します。
大ピラミッドよりもさらに昔の時代に、このようにピッタリと石を高く積み上げる技術があったことに驚かされます。
続いて、ギリシャの円柱を思わせるような丸列柱の並ぶ廊下があります。
1951年に当時の形に復元されたものらしいですが、素晴らしいですね。
この神殿を抜けると広い大中庭に出ます。
こちらはマスタバ墳だったと思います。ちなみにマスタバ墳とは、ピラミッド建築に携わった人たちや神官などのお墓の集合体です。
広い大中庭に出ると、階段ピラミッドが目の前に現れます。
もともと、ピラミッドの表面は美しい白い石灰岩で表面を覆われていたそうですが、長年の間にはぎとられてしまって、今はむき出しの石積みのピラミッドになっています。
今も所々、修復工事が進められています。
外から見た神殿の列柱廊下です。カッコいい~。
周辺の壁は壊されてしまっていますが、一部まだ残っています。
きっと凄い神殿だったんでしょうね~。
神殿の周りには、王妃や王女たちのマスタバ墳(お墓)も作られていたようで、これもそのうちの一つだそうです。
小さな通路がたくさんあって、それぞれのマスタバ墳やお墓に行けるようになっています。
こちらも神殿の一部でしょうか。ずいぶんきちんと残っています。
神殿の階段部分も、修復された跡はありますが、かなりイメージがわきます。
こちらは、神様にお供えの食物や宝物を捧げるためのステラ(台)です。
大きさからして、たくさんのお供えものが捧げられたんでしょう。
この素晴らしい神殿および階段ピラミッドを設計したのは、ジョセル王の宰相を務めたイムホテップという神官だったことが書かれていたそうです。
イムホテップの足型?
とても大きい人だったそうです。
こちらは南の墓。
マスタバ墳のようにも見えますが、どうやら王族の胎児や乳幼児用の墓だったのではないかと推測されているようです。
つづく
カイロのスーク内にあるディープなコーヒーショップ
さて、カイロ市内中心地を抜けて、Elmredian Bazaarというスークにやってきました。
夜の7時過ぎですが、この辺りは、たくさんの異なるお店が並ぶスークの集合地のようで、洋服や日用雑貨のスーク、靴のスーク、生地のスークなど、いろいろな物が売られていました。もちろん地元の人もたくさん来ていて、ものすごい賑わいです。
通りごとに売られている物が決まっているらしく、しばらく歩くとお土産ものの通りに出ました。ここでは、とりあえず売り場の人が、しつこく声をかけてきます。
ニーハオとかも何回も言われます、、、中国人じゃないんだけど。でも、否定すると捕まるので、速足で通り抜けます(笑
いかにもイスラムのバザールという感じですね。
夫の同僚のエジプト人から教えてもらったレストランが確かこの辺にあるはずなのですが、ここかな?と思って聞いてみたら違いました(笑
スークの中は狭い通りが何重にも入り組んでいて、まるで迷路のようです。
レストランの場所を探しているうちに、スパイスマーケットにやってきました。
この辺りはスパイスの香りがとても強いです。そういえば、アニスがもうほとんど家になくなっていたので、アニスを買っていこうと思い値段を聞いてみると、1kgで50EGP(320円くらい)だそうです。や、安い。。。さすがに1kgもいらないので、300gでお願いすると、100円ほどでした。300gといっても使いきれないほどあります。
さて、なかなか見つからないレストラン。
周りの人に聞きながら、やっと見つかったところは、レストランではなく、コーヒーショップでした。ちなみにエジプトのコーヒーショップとは、エジプシャンコーヒーやチャイティーを飲みながら、シーシャ(水パイプ)を吸うお店です。
さすがに食べ物はないよね?と聞くと、スナックならできるから、どうぞ入って!と半ば強引に店の中に連れていかれました。
まあ、いいや。
店内は、とってもローカル色の強いデコレーションです。。
アラブの音楽がジャンジャン流れていました~。
せっかくなので、写真を撮ります(笑
さて、メニューもアラブ語だけなので、店にいた英語のできる地元客の人に通訳してもらい、なんとかご飯と肉系のサンドイッチ、フライドポテトを注文しました。
炭水化物ばっかり~(笑
この真ん中にあるHawawashy(ハワワシ)というひき肉をピタパンに詰めて焼いたものは、美味しかったです。ご飯もバターライスになっていて、美味しかったけど~。
さて、帰り道でみたアル・ハッサン・モスクのライトアップが綺麗でした。
10時近かったのですが、まだたくさんの人で賑わっていました。
ナイル川の夕日とカイロ市内歩き
ホテルで一休み後、午後4時くらいから、カイロまで行ってみようということで、Uberでギザからカイロまで向かいました。
ちなみにエジプトではタクシーよりも絶対にUberがおすすめというのを聞いていました。Uberなら騙されたり、メーターを押してもらえない、お釣りがもらえないなどのトラブルが未然に防げる上に、料金も格安です。ただし一つ問題が。。。
それはUberの車のナンバープレートの数字がアラビア文字になっているため、自分が呼んだUberかどうかわからないということです。
ホテルの前でUberを待っていましたが、客引きタクシーがわさわさ声をかけてきて、「いや、Uberを待ってるから」と断っても、俺がそのUberだ!などと嘘をついてきたりもしますので、気を付けてください(笑。
ホテルの人に助けてもらい、呼んだUberかどうかを確認してから乗り込みます。
このUberの運転手が、道をまったく知らないらしく、途中途中で、他のドライバーに道を聞いたりするんですが、そのたびに後ろからクラクションを鳴らされたりして(汗。
なんとか、カイロ市内の手前のアル・ガラー広場というところで降ろしてもらい、ここからナイル川沿いを散歩します。
橋の上からナイル川を眺めた景色です。
橋は一応ちゃんと歩道もあって、渡りやすいようになっていました。
ナイルの夕暮れを見たいと思ってやってきましたが、日暮れまでにはまだ時間があります。
渡り切ったところにはスルタン(?)の像みたいなものがありました。
ここの川沿いでレストランのスタッフがまた客引きをしていました。それも客引きとも分からない様子で、どこから来たんだ?とか、聞いてくるので、安易に答えないほうがいいです。
地元の人たちもナイル川沿いを散歩していました。
お茶やエジプトコーヒーなどをこの川沿いで飲むこともできます。
綿菓子売りなどもいました。
もうすぐ陽が沈みます。
ナイル川に沈む夕日は綺麗ですね。
さて、そのまままっすぐカイロ市内に歩いていきます。
交通量が凄いのですが、信号はほとんどなく(あっても車はほとんど停まりません)、自分で走っている車の間をぬって渡らなければならないのですが、私はこれが苦手。
ベトナムのホーチミンの時や、ヨルダンのアンマンの時もそうでしたが、本当に渡れないんです。特に車がスピード出して走ってくるところを渡るのは、本当に怖いです。
夫に手をひいてもらい、その上、地元の人が渡っているところに一緒に便乗して、なんとか渡りました。ふーっ
こちらは、タラアト・ハルブ・スクエアというカイロの中心地のようなところです。
この近くにはたくさんのお店が並んでいます。
この通りをまっすぐ行ったところにあるこちらのお店が、アラブ菓子の人気店 El Abd Pastry という店だそうです。
だいぶ暗くなってきました。
お腹も空いてきたし、トイレにも行きたいので、夫の会社のエジプト人の同僚が勧めてくれたレストランに向かいます。
ランチにカイロ名物コシャリを食べてみました
さて、ピラミッドとスフィンクス観光の後に、エジプト人に大人気のファーストフード、コシャリのレストランに連れて行ってもらいました。
外観はこんな感じ。アラブ語なので店の名前はわかりませんが、ギザ周辺のレストランです。
さて、コシャリというのは、写真で見るとこれらしいです。
エジプト人の国民食だよー!と言われましたが、コシャリとは混ぜるという意味だそうです。いったいどんな味なんでしょう?興味津々です。
お通しっていうのかな、アパタイザーに、この揚げたピタパンみたいなのが出てきました。カリッとして結構美味しいけれど、カロリーは高そう。
そして、こちらがコシャリです。
米、レンズ豆、ひよこ豆、パスタ、マカロニと揚げた玉ねぎなどの上に特製のトマトソースをかけて、ぐちゃぐちゃと混ぜて食べるそうです。
米、レンズ豆、パスタ、マカロニが全て一つの皿にのっていて、それを一緒に食べるっていう発想がすごい。。。炭水化物のオンパレードですね(笑
ちなみに写真のコシャリはスモールサイズ。
でも、もちろんしっかり胃もたれします(笑
真ん中のトマトサラダらしきものは、手を付けませんでした。
というのも生野菜や生フルーツはなるべく食べないようにと、出発前に友達やエジプトに行ったことのある人に注意されていたからです。
こちらは自家製?ニンニクのソースだそうです。これもコシャリの上にかけて食べなさい、と言われましたが、ちょっと瓶の口が汚れていたので(笑、私はかけませんでした。夫は、コシャリの上にかけて食べていましたが、美味しかったそうです。さらに、辛いのが好きな人は、チリソースももらえます。私はチリソースなしで美味しくいただきました。
コシャリのドアップ!!
最後に作っているところを少し見せてもらいました。
すでに大量に茹でてある豆やパスタ、ご飯があって、こちらに特製トマトソースをかけるだけ。これは確かにファーストフードですね。
さて、これだけですが本当にお腹いっぱいになりました~。
エジプトフードおそるべし。
ホテルに戻ってきていったん一休みです。
つづく
ピラミッドとスフィンクス観光 その2
ギザのピラミッド群とスフィンクスの位置を表した地図です。
カフラー王のピラミッドからスフィンクスまで、Causeway(参道)が敷かれていますが、これは直線ではありません(スフィンクスをよけるため)。一般には、王のミイラはこのCausewayを通って神殿からピラミッドに運ばれたとされています。
こちらはギザのピラミッド群が見渡せるビュースポット。
クフ王、カフラー王のピラミッド(ここからだとカフラーのピラミッドの方が大きく見えます)、そしてメンカウラー王のピラミッドが見えます。
ピラミッドの反対側の砂漠には、ラクダに乗った人たちが見えます。
観光客向けにラクダに乗れ乗れとうるさく言ってきますが、最初に言われた値段がどんどん上がるか、最後にチップを要求されるので、歩ける人は歩いた方がいいと思います。私たちは、ガイドさんの車で移動しました。
神殿側から見たカフラー王のピラミッド。
そしてこちらが、カフラーの河岸神殿。
なぜ河岸かというと、アスワンダムができる以前は、この辺りまでナイル川がきていて、スフィンクスや神殿はナイル川の河岸に面していたそうです。
この神殿は、幅45m、高さ13mあり、2520~2494BC(紀元前)のものだそうです。
入り口が二つあり、どちらも真ん中のホールに繋がっています。この神殿の北側から、ピラミッドに続く500mに渡る参道が続いています。
神殿から見たスフィンクスとピラミッド!
こちらが入り口です。
天井はありません。壁は赤褐色の花崗岩でできています。
こちら、説明を聞いたけど忘れちゃいました。。。
高さは13mもあるので、壮大です。
ブロック石が隙間なく積み上げられています。こんな大きな石をどうやって上まで持ち上げることができたのか、ピラミッド同様の謎です。
そして、スフィンクス。これも大きい!!
人の手によって彫られた彫像物としては最大のものだそうです。
スフィンクスは太陽神の分身であり、『ホル・エン・アケド』地平線のホルスとよばれていました。
身体はライオン、顔は人の顔をしています。ちなみにこの顔は、スフィンクスを作ったカフラー王の顔に似ているとか。
こちらが尻尾の部分です。長い!!
お決まりの写真を撮ってみました~(笑
この後は、ランチです!
ギザのピラミッドとスフィンクス観光 その1
ギザといえば何といってもピラミッドですよね。
ピラミッドは古代エジプト文明を代表する巨大な建築物でありながら、その用途(王の墓としての説が一般的ですが、棺もミイラも見つかっていません)、どのようにして作られたか、内部の構造など、未だに解き明かされない謎も多く、テレビ番組などでも世界七不思議として取り上げられるなど、興味深い観光スポットです。
写真では何度も見たことのあるこのギザのピラミッド群ですが、やっぱり実際に行ってみると、その大きさに圧倒されました。
一番大きなクフ王の大ピラミッド。
本来の高さは146mという世界一巨大な建造物だそうです。
こちらは2番目に大きいピラミッドで、クフ王の息子のカフラー王のピラミッドです。
高台の上に建てられているため、見る場所によっては、クフ王のピラミッドよりも大きく見えます。高さは144mで、ピラミッドの頂点のところに、赤色花崗岩の化粧石が残っています。実は、すべてのピラミッドはこの化粧石で覆われていて、昔は太陽の光を浴びて、黄金に光輝いたと言われています。
クフ王のピラミッドに近づいてみます。
とにかく大きいので、もう全景は入りません。
10万人の労働者が建設に従事して、完成までに20年かかったとされているのですが、それにしてもこんな巨大な建造物が約四千年もの昔に造られていたなんて、本当に信じられません。労働力もさることながら、こんなに完璧な形の四角すいを一寸のくるいもなく、1個が平均2.5トンの石を積み上げただけで建てることのできる高度な建築設計技術を本当に古代エジプト人が持っていたのか、と疑問が浮かびます。
クフ王のピラミッドの中に入る観光客の列です。
人の大きさによって、石のブロックの大きさが比較できます。本当に大きいのです!
お決まりの写真(笑
私の身長が157cmなので、石の高さは150センチくらいでしょうか。
横の階段を登って入り口まで行くことができます。
が、、、クフ王のピラミッドへの入場は別料金。
この日は半日ピラミッドとスフィンクス観光の個人ツアーに申し込んでいたんですが、ツアー詳細にオプション料金のことが書かれてなく、エジプトポンドをほとんど持っていかなかったのです(涙
クフ王のピラミッドの入場料は一人300EGP(約1500円)でしたが、私たちはツアーに含まれているものと思い、現地通貨を持ってきていませんでした。。。残念。
一瞬、ツアー会社を恨みましたが、私たちのがっかりぶりを見て、ガイドさんがカフラーのピラミッドなら一人100EGPで入れるから、お金を貸しますって言うので、そっちに行くことにしました。
カフラーのピラミッドに向かいます。
こちらは、貴族たちが眠るマスタバ墳です。
カフラーはクフの息子で兄のジェドエフラーがクフの後を継いで王位を継承しましたが早世したため、その後継者になりました。
彼は、ピラミッド群の前にある神殿とスフィンクス像を建てた人物とされています。
こちらがカフラーのピラミッドの看板です。
これから中に入ります!!
入り口は狭く、下降通路が続きます。
かなり急で狭いため、屈みながら手すりにつかまって降りていきます。結構疲れます。
途中、ちょっと天井が高くなって、普通に立てる場所がありました。
その後が水平の廊下(こちらも狭い)が続きます。
ここを抜けると玄室と言われている部屋に突き当たります。
ここはシンプルな造りで、壁にはレリーフもヒエログリフも何もありません。
奥に石に棺のようなものがありますが、中も空っぽです。
発見された時からこの状態だったそうです。
多くの人がここは王の墓で、王のミイラが眠っていた玄室だが、その副葬品やミイラは墓泥棒によって持ち去られたと考えています。
でも、一部、ピラミッドは王の墓ではないと考える人もいて、その人たちによると王の墓は別にあり、このピラミッドの近くにミイラも副葬品も眠っている、と。その証拠にこの玄室にはレリーフもヒエログリフもないのです。
どちらが正しいのか、または全く別の真実があるのかわかりませんが、とにかく古代エジプト文明には不思議な謎がたくさん潜んでいて、考えるだけでワクワクします。
つづく