海外食べ歩きブログ(レシピ付)

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サッカラの階段ピラミッド観光

今日はエジプト二日目、サッカラのネクロポリス(死者の町)とメンフィスを巡る観光に出発です。
サッカラはカイロから南に25kmほど離れた地で、特に古代エジプトの墳墓の中でも最古といわれる階段ピラミッド、テティ王のピラミッドのなどがあり、古代エジプトの歴史の中でも重要な場所です。

カイロから離れると、空気も澄んできて、田舎の風景になってきます。
見えている川はもちろんナイル川です。
そうそう、エジプトのピラミッドや王家の墓、死者の眠る墳墓は、すべてナイル川の西側にあります。これは古代のエジプト人が死者の魂は太陽の沈む西から蘇ると考えたため、ナイル川の東側は生きている人間の町(カイロやルクソールなど)で、ナイル川を渡って西側には死者の町(ギザ、サッカラ、王家の谷など)があるそうです。知らなかった。。。

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長閑な風景です。ナイルの水を灌漑して農業をしているので、ナイル川の周辺は緑豊かな緑地帯が広がります。
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道路もすいています。カイロの交通渋滞とは大違い!
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プランテーションのヤシの木がたくさん。バナナもプランテーションで栽培しているそうです。
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サッカラの町に着きました。
町といっても、死者の町なので、お墓以外には何もない砂漠地帯です。

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そしてこれが第三王朝のジョセル王(2668~2649年B.C)の墓として建てられた階段ピラミッドです。これまでに発見された中で最古のピラミッドであり、世界で最初の石造建築物だそうです。
ジョセル王は19年間王位に就き、その間、このピラミッドの建設が行われたと考えられています。この階段ピラミッドは、規模こそ、大ピラミッドに及ばないものの、すでに古代エジプト文明の基礎となるピラミッドの存在を最初に表したものとして、歴史的に重要な地位をしめています。

高さは62mあり、8m~11mの階段が六段積み重なっています。
基底部の長さは東西に125m、南北に109m、全体は石灰岩でできています。
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この建物は、たしか階段ピラミッドの西側にある複合神殿の入り口だったと思います。。
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高い天井をくぐり抜けて、入場します。

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大ピラミッドよりもさらに昔の時代に、このようにピッタリと石を高く積み上げる技術があったことに驚かされます。
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続いて、ギリシャの円柱を思わせるような丸列柱の並ぶ廊下があります。
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1951年に当時の形に復元されたものらしいですが、素晴らしいですね。
この神殿を抜けると広い大中庭に出ます。
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こちらはマスタバ墳だったと思います。ちなみにマスタバ墳とは、ピラミッド建築に携わった人たちや神官などのお墓の集合体です。
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広い大中庭に出ると、階段ピラミッドが目の前に現れます。

もともと、ピラミッドの表面は美しい白い石灰岩で表面を覆われていたそうですが、長年の間にはぎとられてしまって、今はむき出しの石積みのピラミッドになっています。
今も所々、修復工事が進められています。
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外から見た神殿の列柱廊下です。カッコいい~。
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周辺の壁は壊されてしまっていますが、一部まだ残っています。

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きっと凄い神殿だったんでしょうね~。
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神殿の周りには、王妃や王女たちのマスタバ墳(お墓)も作られていたようで、これもそのうちの一つだそうです。
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小さな通路がたくさんあって、それぞれのマスタバ墳やお墓に行けるようになっています。
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こちらも神殿の一部でしょうか。ずいぶんきちんと残っています。
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神殿の階段部分も、修復された跡はありますが、かなりイメージがわきます。
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こちらは、神様にお供えの食物や宝物を捧げるためのステラ(台)です。
大きさからして、たくさんのお供えものが捧げられたんでしょう。
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この素晴らしい神殿および階段ピラミッドを設計したのは、ジョセル王の宰相を務めたイムホテップという神官だったことが書かれていたそうです。
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イムホテップの足型?
とても大きい人だったそうです。
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こちらは南の墓。
マスタバ墳のようにも見えますが、どうやら王族の胎児や乳幼児用の墓だったのではないかと推測されているようです。
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つづく